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マイケルガラッソ氏 バイオリニスト/作曲家

9/17/2009

 
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Biennale di Veneziaでの演奏
日本ではあまり聞き馴染みのない作曲家かもしれません。しかし世界的には演劇界の巨匠ロバート・ウィルソン氏の演劇音楽を長年作曲したりIn the Mood For Love(”花様年華”)の映画音楽を作曲されその名を世界に広めた、音楽の極みを分かっているバイオリン奏者、作曲家になります。
彼は私がFABRICAにいた頃、そしてその後、マイケル氏が最後 の拠点パリに置く前の数年間、数々の作曲を共に一緒に行ってきた私にとってお互い自然に話さずとも音を創っていける大切な方でした。その方が今月パリでお亡くなりになりました。
どういうスタイルにてマイケルが仕事(音楽を)創っていくか少し書き留めておきたいと思います。
マイケルと仕事をする際、ユニークな点はその指揮能力。呼ばれた一人一人の音楽家が既にその道を極めた超一流の方々なのですが、そこから出るであろう音楽をマイケ ルは頭に既に描いてあって作品が完成されている、ということです。だから「こう演奏して下さい、、」等の言葉が一切ありません。個々が弾きたいように好きに演奏するだけで、しかし好きに演奏したって素晴らしく統制されていて、かつ作品として硬くなく自由な音が生まれる故、楽器の領域を超えて集めれたその道のトップ同士の融合にのみ生まれる大成された魅力が生まれ、音楽家同士共に皆で楽しく驚くのでした。
私が当時住んでいたロンドンに当時ガラッソ氏が住んでいたベニスから「ちえこ、来年のベニスビエンナーレでミラノのダンスカンパニーの音楽を担当することになったので一緒に演奏しよう!来週飛行機を手配するから。ニューヨークの音楽家フィリップグラス氏のスタジオで待ってるよ。やってくれるよね?」
飛行機からホテルまできちんと手配されていていざブロードウェイのスタジオへ行ってみると社交辞令は一切なし。すぐさま「作品は60分でね、4部構成、、、感じの雰囲気かな。じゃあ明日。今日はゆっくり休むといいよ」それ以上の話はなく、プライベートなその後のニューヨークでの過ごし方には一切触れず自由(そこがものすごく好きだった)そ してあの当時の私にはびっくりするようなギャラをポンと払われ、解散。


次の日ブロードウェイにあるフィリップグラス氏のスタジオに11時に行くと念入りな音チェック。1度きりのぶっつけ本番演奏をする我々なのでエンジニアは想定される音のバランスを考えながらの完璧な準備が求められる。マイケルガラッソ氏、ブラジル人ニューヨーク在住の有名パーカッショニストのフランク コロン氏、私の3人は音チェックだけで夕方。演奏練習やどういう風な音楽にするかという話は無く、フレーズが出ると「あっそれにのっていこう」また新しいフレーズがでると「それも使ってね」という感じで軽く打ち合わせ。夜8時。にこにこ顔で「じゃあ録音?3人個々のブースに入ってちえこからスタート入ってよ、僕もそしたら入るから」その一言がリハーサル的な会話。そして60分、ノンストップ即興録音。次の音がこうくるであろうとお互いの瞬間まで想像しながら遠慮なく思いっきり演奏し、スリリングなままの3人の生演奏がそのまま小細工無しに作品になる。そして夜中にミキシングを終えあっという間に作品に仕上げられる。とてつもなく達成感を感じながら夜が明ける。

翌年春の電話。常にものすごく短い会話。「ちえこ、去年録音したあの長いの、そう60分の、あれを生演奏でビエンナーレで弾きたいので夏の日程数日開けといてよ。」
夏、ベニスにいくと気楽にまずは一杯、リハーサル等する気配無し。ミラノでも有名なコンテンポラリーダンスカンパニーとご対面。ぶっつけ覚悟の本番前2時間に(午後7時初演開演の午後5時集まり)我々3人とギター担当のアゴスティーニの4人が集まりマイケル「じゃあちょっとならして、マイクチェックしておいてね、あとは本番7時だから6時45分まで舞台裏に入ってね」そして解散。
(写真はビエンナーレでの演奏前)
60分の即興演奏を今度は数秒、リズムやメロディ、勿論一音足りとも狂わせずに(その音源を聞きながらダンサー達は半年間練習して来たので私達がライブになってもそのままの形で演奏してあげないと踊りができないのです)ぶっつけビエンナーレで演奏初演公演そして5日間つづけての公演。自分を試すゾクゾクの本番。
5日間の集中力は他の作曲家と仕事に向かうものとはまったく異なる次元にあります。
即興演奏といっても頭の中に一音一音しっかり残して、完璧なフレーズや正確なリズム(スピード速度まで正確に)で数秒狂わせず次につながるように音を紡いで 行く事ができる、そういう音楽家だけが世界中からマイケルに呼ばれている。そして有名無名関係なしにマイケルに認められると、世界のどこにいても録音に呼ばれる世界のトップレコーディング奏者と評価される理由が分かる気が致します。
マイケル氏が言ったこと。
「自らの音楽を完成させること、これは修行だよね。私は一生かかるものだと思う。そして
音楽は観客の為に演奏するのではない、楽器のジャンルの違いも関係ない、大切なのは自分
を演奏という形で楽器に偽り無く投影し、そこから出る音が本人以上に本人を表し
音の中に"自分"という人間はすっぽり収まってしまうくらい音の方がある意味力強く
本人を語り、存在するということ。言葉で説明できることはないよ。皮膚で感じとることだと思う。」
ニコニコ朗らかで彼の偽りのない飾らない人柄を思い出します。
何時もたわいのない話やお酒を一緒に飲んで楽しい時間を過ごしてきたマイケル。レコーディング前でも音楽について一切語らない姿勢からは音楽は頭で考えない、心で感じて身体表現するものなんだなと改めて感じたものです。彼とは呼吸し合うような演奏の瞬間、お互いが唯一無になって音を紡いでいける心の同士でした

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